織田信長 長篠の戦いで使った鉄砲隊

織田信長が揃えた鉄砲隊3000が所有する「鉄砲」は当時一発鉄砲を射つと次に発射するまでに 約30秒程度要したと言われている。「鉄砲」と呼ぶより「火縄銃」と呼ぶほうがわかりやすいと思う。 織田信長は鉄砲隊が弾を込める間に武田騎馬隊に攻め入られることを改善するため、 馬防柵の後ろに鉄砲隊を1000ずつ3段に配置する鉄砲隊3段射ち戦法を取り入れたと言われている。

長篠の戦いで活躍した鉄砲隊3段射ちの流れ

長篠城が持ちこたえ、 一方の織田・徳川連合軍本体3万8000が長篠の設楽原に布陣を完了した後、 織田信長は武田騎馬隊に対抗するため柵を作成させ、そこに鉄砲隊を配置した。 織田信長の鉄砲隊の配置方法は三列に鉄砲隊を並べ、 当時の鉄砲の短所である 射撃してから次に射つまでの時間の短縮を試みるために三列に並べられた。 一例目が射撃→二列目、三列目が射撃 一列目が弾を込める間に 二列目、三列目が銃を射つことで銃撃が途切れることなく武田騎馬隊に攻撃できるように工夫した。 一例目が再度射ち、また二列目、三列目も同じように射撃し、弾を込めることを繰り返した。 この三段射ちを採用したことで鉄砲隊が弾を込める間に武田騎馬隊が鉄砲隊に近ずけないように対応した。

織田信長の鉄砲隊の威力

この織田信長の鉄砲隊に対して 武田家家臣の山県昌景、武田信廉、小幡貞政、武田信豊らの騎馬隊が 次々と攻め寄せたが、馬防柵と鉄砲隊の三段射ちに阻まれ次々と鉄砲隊の前に討ち死にしていく。 武田勝頼は先発騎馬隊武将の死を知ると総攻撃を仕掛けたと言われている。 また、この総攻撃の前に織田信長・徳川家康連合軍は柵を破られたが、 鉄砲隊の三段戦法の猛射を受け、損害は増え続ける。 原昌胤・山県昌景・土屋直規・同昌輝・高坂昌澄・甘利信康・真田信綱など、 猛将と呼ばれた武田家の歴代の武将たちが次々と戦死していく。 戦国最強と言われていた武田騎馬隊は織田信長の鉄砲隊の前に崩壊し、 武田軍は事実上の敗戦を受ける。 武田騎馬隊が壊滅的な攻撃を受けたことで織田信長は総攻撃を開始した。

織田信長の鉄砲隊と長篠の戦い まとめ

  • 織田信長は鉄砲約3000を揃え長篠の戦に布陣した。
  • 織田信長の鉄砲隊が馬防柵を設置し、武田騎馬隊の侵入を防いだ。
  • 織田信長の鉄砲隊は三段射ちで攻撃を開始し、武田騎馬隊を壊滅させた。
  • 武田騎馬隊の武将たちは足軽鉄砲隊に討ち取られたことで当時の戦の概念を覆した。
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