織田信長は浅井長政と政略結婚にお市の方を差し向ける

一夜城の築城、美濃三人衆の裏切りにより美濃を平定した織田信長。

美濃三人衆の裏切りにより稲葉山城も落城させる事に成功し、名を現在の岐阜城に改める。

その後も天下統一を目指す織田信長は1967年にお市を浅井家の浅井長政に嫁がせ同盟を画策した。

浅井家との同盟を結ぶ事により上洛の準備と捉えていたのだろうか?
織田信長は稲葉山城を岐阜城に改めた後も楽市楽座の政策や天下布武の号令を唱えており長年かかった戦の期間をもろともせずに天下統一の道を歩む事になる。
織田信長は美濃を攻略した事により当時の天皇からも上洛の要請を受けており、多額の寄付金を送ったと伝えられている。

織田信長は京から上洛の要請を受けた事もあり大義名分も揃っている状態だったので浅井家にお市の方をなぜ嫁がせたのかは不明であるが、
織田信長の頭の中は恐らく上洛の方向に向いていたのではないかと思われる。

織田信長はお市を浅井家に嫁がせ政略結婚を完成させた事により頭の中に描いていた絵をまた一つ完成させたのではないであろうか?

浅井長政はお市の政略結婚の甲斐なく裏切る事になる

浅井家の浅井長政にお市を嫁がせ政略結婚を完成させた織田信長であるが、
この政略結婚は後に失敗となって織田信長の危機を招く結果になる。

織田信長は浅井長政にお市の方を嫁がせた後、上洛を成功させるがそこで朝倉家と対立し金ヶ崎の戦いに進軍する事になる。

この朝倉家は以前より浅井家と同盟関係が深く浅井家は金ヶ崎の戦いで朝倉家と織田家の間に挟まれる展開を迎える。

金ヶ崎の戦いの時に浅井家が織田家に協力していればお市の政略結婚も成功していたのであろうがこの時に織田信長にではなく朝倉家に寝返られてしまった。

金ヶ崎の戦いで思わぬ寝返りを受けた織田信長はどうなったのか?

》金ヶ崎の戦いページで公開中《

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