上杉謙信援軍通告 名戦の初手 第一次川中島の戦い

上杉謙信 第一次川中島の戦い(布施の戦い、更科八幡の戦い)

1553年上杉謙信(長尾景虎)武田晴信(武田信玄)の先陣を破った戦いである。

上杉謙信(長尾景虎)は村上義清から援軍要請を受け、およそ11年続く川中島の戦いが始まるのです。

第一次川中島の戦いは村上義清が武田晴信(武田信玄)から攻撃を受け、支城である葛尾城を放棄し上杉謙信(長尾景虎)が援軍として出陣した。

上杉謙信(長尾景虎)は最初に村上義清から援軍要請を受けた時に、
約5000の兵を送り、村上家の葛尾城奪還に貢献した。

しかし、一旦引いた武田晴信(武田信玄)は再度葛尾城に攻め入り、村上義清は塩田城に立てこもる。
武田晴信(武田信玄)はこれを許さず塩田城に攻撃を仕掛け、村上義清は塩田城を放棄し、再び越後国に逃げ延びる。

これを聞いた上杉謙信(長尾景虎)が自ら兵を率いて第一次川中島の戦いに出陣したとされているが、
第一次川中島の戦いに上杉謙信(長尾景虎)本人が出陣したかどうかは定かではなく記録も曖昧なものになっている

第一次川中島の戦いで上杉謙信(長尾景虎)は武田晴信(武田信玄)の先陣を討ち取り
荒砥城に攻め入った。

荒砥城は上杉謙信(長尾景虎)による攻撃で落城した。

荒砥城が落城した後、武田晴信(武田信玄)は

上杉謙信(長尾景虎)の支城となった荒砥城に夜襲を仕掛けた

夜襲の狙いは上杉謙信(長尾景虎)の退路を塞ぐためだったと言われている。

夜襲を受けた上杉謙信(長尾景虎)は

兵を引き、村上義清が奪われた塩田城に兵を向け直した

しかし、武田晴信(武田信玄)が塩田城に立てこもり上杉謙信(長尾景虎)との戦いを避けた

上杉謙信(長尾景虎)はこれを見て越後国に徹底した。

上杉謙信が徹底した後に武田信玄も甲斐に軍勢を引きあげ、第一次川中島の戦いは上杉・武田両軍の小競り合いで終わったと伝えられている。

まて上杉謙信(長尾景虎)が徹底した理由は京へ上洛する予定日が近づいたからだとも言われている。

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